やってみないとわからない「頭がわるい人」ってどうなの?
娘はまだ受験生ではないのですが、習い事(進学塾)に行ってます。
塾に行け!と、親が言ったわけでなく、自ら(娘から)塾に行きたいと言ったので、
少々しんどくても辞めたらアカン!という条件(約束)で行かせています
(←「辞め癖」がつくのは避けたいので)。
大抵は母親が塾への送迎を行っていますが、
行けるときは私も送迎してます(クルマで10分くらいですかね)。
塾の前で娘を車から降ろすとき、塾の前には、
親御さんに送迎されてきた娘くらいの子供達がワシャワシャといます。
そんな彼らには勉強しないと行けない・・・・といった義務感や悲壮感は見当たらず、
(まだ遊び感覚的なところもあるのかわかりませんが)
皆ウキウキ♪と塾に吸い込まれていきます。
何だかんだ言っても、日本は学歴社会ですから
「勉強ができる」方が将来の”選択肢”が増えるので、
塾通いなんて不要!などとは思っていません。
ただ、「”勉強だけ”できればいい」と思っておらず、
また、「勉強ができる」のと「頭がいい」とは別物と思っています。
人によって色んな”定義づけ”があるのでしょうが、
「頭がいい人」って、「物事の前後がよくみえる人」というか、
「(ある意味)効率が良い生き方ができる人」「リスクを避け失敗がない人」なのでは・・・・
と、思っています(←いわゆる「プロ」といわれる人!)。
ある事象についての問題点と、その解決方法(若しくはその代替案)を
キッチリ整理した話し方ができたり、
一目でわかりやすい、要領を得た資料を作ることができる人に会うと、
この人はなんて頭がいいんだろう!と感心してしまいます。
確かに、仕事ではそのような人が重宝されますし、尊敬されます。
でも、思うんです。
「頭がいい人」って、見通しがきくので、結果がダメだと判ったり、
前途多難だと思うことはやってみようとしないよね・・・・
「頭がいい人」って、他人のアラが見えてしまって、批判ばかりするので、
自分が偉く思えてしまって、努力しなくなり進歩が止まっているんじゃないのかな・・・・
反対に、要領が悪くて、物事の見通しがなかなかできず、
効率の悪い生き方しかできない「頭のわるい人」って、
頭がいい人が考えてはじめから辞めてしまうことをやってみて、
それがダメだとわかるまで時間がかかるけど、
そのプロセスで何か別の方法を見つけたりすることもあるんじゃないのかな・・・・
「頭のわるい人」って、他人の仕事が立派にみえるから努力するし、
立派な仕事が自分にもできそうな気がしてやってみたりするんじゃないのか、
と思って、とりあえずやってみてるよね・・・・
だから、「どうせやっても」とか「結果がどうなの」と考えてしまい、
良い結果しか期待できないこと以外はやってみようとしない
「頭がいい人」が多い(というか多すぎる)世の中では、
つい馬鹿にされがちです(←だって成果が出ない方が多いから)・・・・
「そんなことをやって何になるの?」
「〇〇になれるわけがないやん!」
「いくらやっても、できるわけないやん!」
「そんな事をするくらいなら、他のことをしたい」
と思うことがあったとしても、
そんな無駄と思えることをやってみる(努力してみる)ことで、
そのプロセスで得た学びは、困難さを乗り切るチカラという『宝物』になることもあります
(←いろんな場面で体験済!これを読んでくれているアナタも体験があるんじゃないですか?)。
娘が通っている塾では、きっと”効率が良い”勉強の教え方をしていると思いますが、
(勉強も含めて)結果がどうなるかわからないけど、やってみたいと思うことを始めたり、
疑問に感じたことの根本に潜むものに目を向ける好奇心を無くして欲しくないなぁ・・・・
と、塾に吸い込まれていく娘や他の子供達をみながら、ふと思ってしまいました。
※今回も「不動産鑑定」と関係ないことをヅラヅラと書いてしまいました。
でも、きっと無駄じゃないですよね・・・汗
コメント